関西 日帰りカメラ旅

神戸市在住。日帰りで行けるちょっといい場所を訪ねて写真を撮っています。

【姫路】朝日谷橋から眺める大津茂川の風景、ホトケノザのツボミが膨らんでいた

姫路市たつの市、太子町を通り抜けながら流れる二級河川・大津茂川は、
散歩にうってつけの自転車・歩行者専用道が
流れに沿って整備されています。

まだ2月ですが、川沿いの風景がそろそろ春めいているかも・・
そんな気分になったので、
ユニクロのフリースの上にダウンジャケットをはおって、
歩行者専用道を歩いてみることにしました。

 

大津茂川にはいろいろな橋が架かっているんですが、
その中のひとつ朝日谷橋に到着。橋の上から北の方角を眺めました。

大津茂川の流れの先に京見山、檀特山、朝日山などの山々が屏風のように聳え、
川沿いに建ち並んだ住宅が閑静な街並みを形成しています。

 

朝日谷橋は歴史的なスポットではないのですが、
「朝日谷橋」という美しい呼び名に惹かれました。
この名称は、大津茂川の西側にある朝日山、
そしてその麓に広がる地域「朝日谷」に因んだものと思われます。

 

川面に映る朝日谷橋。

兵庫県神社庁の公式サイトによると
戦前は数十個の農村にしか過ぎなかった朝日谷集落ですが、
JR網干駅から近く便利が良いため開発が進み、
現在は、600余戸の住宅が建ち並んでいるそうです。

ちなみに朝日谷は、江戸時代の中期に「朝日谷村」と名付けられるまでは
「谷村」と呼ばれていたそう。
もしも今でもこの地域の呼び名が「谷村」のままなら、
この橋にも、違う名前がつけられていたかもしれませんね。

朝日谷橋の周辺の町並みがどのように変化したのか
興味がわいたので今昔マップで調べてみました。

 

まずは、1903~1910年の
朝日谷橋周辺の地図(「今昔マップ on the web」より作成)です。
1910年といえば明治時代ですが、
この頃は大津茂川の周辺は田畑が広がっていて住宅がほとんどないですね。
JR網干駅の北側は完全な田園。全く建物が建っていません。

 

続いて大正時代。1923年の朝日谷橋周辺はこんな感じ。
まだ建物の数はまばら。
JR網干駅の周辺は、かなり開発が進んでいるようにも見えます。

 

そして昭和40年代。1967年の朝日谷橋周辺です。
朝日山の麓やJR網干駅周辺に建物の所在を示す黒い点が増え、
着実に町並みを形成していることがわかります。

 

現在の朝日谷橋周辺。
田畑がぐっと減り、網干駅の北側が建物の所在を示すオレンジの矩形で
埋め尽くされています。随分とにぎやかな印象になりました。


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さて、大津茂川沿いの自然の様子ですが、
歩道の脇の空き地に生えた雑草のツボミがぼちぼち膨らんでいました。

これはホトケノザかな?

 

カルガモのチームがブロックの上で昼寝をしていました。

 


赤い柵がひときわ目立つ水門。
コンクリートで固められたのり面にも
草が生えていました。ススキかな?
植物はたくましいですね。

川沿いに並ぶ桜も良く育っていて大木となり、
たっぷりツボミが付いた枝を空に伸ばしていました。
できれば花が咲く頃、また訪れたいものです。

(2024年2月撮影 機材:CANON EOS M6)

参考資料:兵庫県神社庁 愛宕神社
今昔マップ on the web

 

 

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